この街に暮らす

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この街に暮らす

大人の文化が香る街、高槻。

陸の街道と水の街道を従えて

 大阪と京都のちょうど真ん中あたり。高槻は北摂の山並みと淀川に挟まれた城下町だ。古代から、陸路の山陽道(西国街道)、水路の淀川を抱え、人や物資の往来でにぎわった。
平安時代に都びとがこぞって熊野をめざした熊野詣でのメインコースは、伏見から船で淀川を下り大阪の八軒家浜(北浜)で陸へ上がった。ここから陸路が始まったことから、八軒家浜は世界遺産・熊野古道の陸上の起点となっている。淀川の同じコースを、江戸時代には乗合船「三十石船」が日に2回往復した。
その乗客相手にゴボウ汁や餅、すし、酒などを売る小舟が高槻と対岸の枚方の両方から繰り出した。「くらわんか舟」だ。にぎやかだったその様子が、弥次さん喜多さんの「東海道中膝栗毛」にも描かれている。

キリシタン大名、高山右近。

 時代はさかのぼるが、戦国時代に高槻城主となったのが高山右近であった。12歳の時に父とともに洗礼を受けたキリシタンで、本能寺の変の後、織田信長亡き後に炎上したセミナリヨ(神学校)を安土から高槻に移した。羽柴秀吉の信任もあつかったが、やがて秀吉のキリシタン禁教令により苦境に立たされ、城も財産もすべてを捨て信仰の道を選んだ。
その人柄を慕う小西行長、前田利家らの保護を受けていたが、ついにキリシタン追放令を受けて家族らとともに長崎からフィリピンのマニラへと追放され、翌年その地で没した。

ルイス・フロイスも訪れた天主教会堂のある城。

 城跡公園の近くに高山右近高槻天主教会堂跡の碑がある。右近に城主の座を譲った父・高山飛騨守が、城内に建てたその教会堂には、あのポルトガル人宣教師ルイス・フロイスも訪れた。
後に「日本史」と名付けられた彼の記録によると、大きな木造の教会堂と宣教師の宿舎があり、池のある美しい庭園の一角には大十字架が建てられていたという。
後年の発掘調査で、教会に隣接していたキリシタン墓地が発見された。日本最古の発掘資料であった。
江戸時代には3万6千石の城下町の中心として、さまざまな歴史を刻んだ高槻城も、明治の初めに出された廃城令により、各地の城とともに解体破壊された。今は城跡公園となり、お堀を模した石垣や池が往時を偲ばせる。

高山右近記念聖堂

高山右近記念聖堂のあるカトリック高槻教会。戦後まもなく計画され、1962年に完成。ひざまずく姿の高山右近像がある。

高山右近

城跡公園

高槻城のあとにつくられた城跡公園。四季折々に美しいが特に梅の名所として知られる。

城跡公園石碑

淀川の広い川原

淀川の広い川原にはゴルフコースや公園が広がる。

摂津峡 上宮天満宮

左:渓谷美が気軽に楽しめる摂津峡。秋が深まれば紅葉の名所としてにぎわう。

右:駅から真北に参道が続く小高い森に、菅原道真をまつる上宮天満宮がある。太宰府に次いで建てられた由緒ある天満古宮。


街の中にあるバイオリン工房へ。

 JR高槻駅に近い芥川町の通り沿い、あら、こんなところに?というビルの2階にバイオリン工房「クレモナ」がある。ドアを開けると思いがけない木の香りとニスの匂いに迎えられる。窓からの光がほどよく入る工房には、おびただしい数のバイオリンやチェロがつやつやとした光沢を放っている。楽器だけではない。作業机の周囲には、飛行機のコックピットさながらに使い込まれた工具がオブジェのようにスタンバイしている。窓辺には、木で手作りされたさまざまな小物や楽器の手法で作られたチェア、遊び心がいっぱいの亀や恐竜のかたちをしたバイオリンもある。そんなたくさんのものたちが、ここだけ別の時間が流れているようにゆったりとしたハーモニーを奏でている。

テントをかついでヨーロッパで学校探し。

 工房の主であるリュウタイオ(楽器職人)岩井孝夫さんは、長野県でギターから楽器製作の道に入ったが、それはベルトコンベア式の単純作業であった。その頃、バイオリン作りの先生に出会う。1年ほど学び、関西へ帰って京都、大阪で何人かの先生のもとで修業した。しかし、まず基礎が大事と基礎だけを黙々と繰り返して学ぶ日々に物足りなさを感じた。「今ではその大切さがよくわかりますが」と笑う。もっと早く効率よく上達するには、バイオリン製作の本場で学ぶしかない。下調べをもとに、テントをかついで本場のドイツとイタリアの学校を訪ねた。ドイツでは修業にドイツ語ができることが条件とされた。ミラノとヴェネツィアの間にある北イタリアの小さな街で、外国人枠のある学校を見つけた。その街がクレモナだった。

ストラディバリのようにより精度を高く、より美しく。

 イタリア一高い鐘楼のある街クレモナは、世界中にその名を轟かせるバイオリン製作の都だ。16世紀半ばに現在のバイオリンの原型を最初に作ったといわれるアンドレア・アマティも、17〜18世紀に芸術的で華麗な作品を作ったストラディバリやその双璧とされる豪放で深みのある名器を生んだガルネリ・デル・ジェスも、クレモナが生んだ名工だ。人口約7万人の街に2〜300人のリュウタイオの工房がある。誰もが昔の製法を守り、機械を使わず原木から削り出し、張り合わせ、柄をつけてニスを塗る。
それがクレモナ派の誇りなのだ。

自分の責任で作る、売る。マエストロたちの教え。

 岩井さんは3人のマエストロ(親方)に学んだ。2番目と3番目のマエストロは世界的な巨匠である。共通するのは、バイオリンづくりに真摯に取り組む態度だ。待っていても誰も教えてくれない。バイオリンを作りたいなら、自分で考え腕を磨く以外にない。パーフェクトにできなかったり、ごく些細なムラに目をつぶったときは、徹底的に叱りつけられた。そうやって正確無比、より上のグレードをめざす。「自分で作って、自分で売ればいい」職人とはそういうものだ、とマエストロは言う。飛び込みでミラノの音楽学校へも行った。レッスン中でも「バイオリンを売りに来た」と聞くと、教授も学生も見せてみろと集まってくる。たまに売れた。6年目に労働許可証を手に入れ、クレモナに工房を開いた。
帰国するまでには12年が過ぎていた。

100年は鳴らないバイオリンを作る。

 今年6月チャイコフスキー弦楽器製作コンクールで、岩井さんのバイオリンが最優秀音響賞を受賞、同時にポーランドバイオリン製作者協会からも最優秀音響賞を受賞した。パルマの国立音楽院で学んだ3番目の師、スコラール・ベッツァ氏は、すべてを叶えて満たされた今は「100年は鳴らないバイオリンを作っている」と言って笑ったそうだ。出来のよいバイオリンは200年、300年たって最高の音色を響かせる。娘のその先の子孫へ遺すために、何世紀も先を夢見て作る80歳を過ぎたマエストロ。
岩井さんの口調に敬慕の念がにじんでいた。

カフェあり ジャズストリートあり

 高槻には大人が居場所にできるいいカフェやバーがある。阪急高槻市駅から城北通商店街を抜けるあたりにある「JKカフェ」は、年中無休、朝・昼間・夜…さまざまな人が思い思いにくつろいでいる。毎晩7時からジャズライブがあり、北摂・京都方面のジャズファンにはおなじみだ。毎年ゴールデンウィークに市民ボランティアにより開催される高槻ジャズストリートの事務局も、この3階にある。第9回ジャズストは今年も37会場でライブ演奏があり、高槻の街にジャズがあふれた。カフェは今年のクリスマスイブで10周年を迎える。
大人が元気な街は面白い。

バイオリン工房「クレモナ」

岩井さんの人生のスタートは、自転車競技のオリンピック選手になることだった。インターハイで3位に入賞、実業団の選手であったが腰を痛めた。今でも毎年イタリアへ行くときは愛用の自転車で北イタリアのドロミテ山岳の難コースを走る至福の時を楽しむ。

バイオリン工房「クレモナ」
高槻市芥川町2-14-21-201
TEL 072-685-5551  AM11:00〜PM8:00(月曜定休) http://www.d1.dion.ne.jp/~luccio/

バイオリン工房「クレモナ」
ネック

ネックの先端は美しいバイオリン作りのポイントだ。15世紀に誕生したバイオリンは、かつて王侯貴族のサロンで奏でられた楽器から、近世になって一般の人々が広い劇場で聴く楽器へと変化した。ネックはシンプルな渦巻きが主流に、また大きな音が出てよく響くバイオリンが求められるようになった。


マエストロ、スコラール・ベッツァ

3番目に修業した世界的に名高いマエストロ、スコラール・ベッツァ氏は、初対面のときも80歳の今もダ・ヴィンチそっくりの風貌と衣装。イタリアでは16世紀から今日まで職人さんたちが連綿とバイオリンを作り続け、将来の名器が次々に生まれている。


JKカフェ

JKカフェはゆったりしたソファ、重厚なカウンターが待つ大人の隠れ場所。365日ライブがノーチャージで楽しめる“毎晩ジャズスト”のスポットでもある。イタリアのバールのプロ「バリスタ」の免状を持つ近藤さんのおすすめ、カプチーノとベーグルサンドで遅いランチ。

高槻市城北町1-2-8
TEL 072-671-1231(AM10:00〜PM10:30くらい)
http://www6.ocn.ne.jp/~officejk/cafe/jkcafe.html


※2007年7月取材
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