憧れのまち
ひとつひとつに歴史がある堂島川・橋ものがたり。
堂島川には、中之島に続く12の橋が架けられている。その中で現存する最も古い橋が、難波橋。目印は橋台のライオン、親柱にはメダル飾り、石橋風の外観で大正モダンを感じさせる。一方、ロマンチックな佇まいで人気があるのは、水晶橋。夜になると美しくライトアップされ、水の都・橋の都の情緒たっぷりだ。そのお隣りの大江橋は、ほぼつくられた昭和10年のままの姿を保つ重要文化財。この橋のデザインは一般公募されたもので、武田五一ら当時の一流建築家が審査をし、見事一等に輝いたのがこのカタチだった。
それぞれの橋の由来や歴史を知ると、橋を渡る短い時間も楽しく感じられる。
土佐堀川と堂島川、ふたつの川を渡る難波橋。対になっているライオン像は口を開けた阿(あ)と口を閉じた吽(うん)の形になっている。。
大江橋は、昨年2008年、淀屋橋とともに 国の重要文化財に。「戦前期の極めて珍しい デザインの橋」と評価された。

堂島川と土佐堀川を抱えるように架けられた天神橋が初めて架設されたのは、1594年(文禄3年)。当時、天満天神社が管轄していたため、天神橋と呼ばれるようになった。その後、天満橋、難波橋とともに幕府が管理する公儀橋となる。これらの橋は、浪華三大橋と呼ばれ大阪町民に愛された。特に天神橋は上町台地と大阪北部を結ぶ重要な橋で、三大橋の中でも最も大きかったといわれている。歴史の舞台に登場することも多く、1837年(天保8年)には大塩平八郎の乱を知った幕府が橋を落として反乱軍の侵入を防ごうとした逸話や幕末には新撰組の芹沢鴨が力士を相手に殺傷事件を起こしたエピソードが残っている。現在の橋は1934年に完成。大阪を代表する風景を創り出している。

大阪の夏の風物詩、天神祭。鉾流橋の名はこの神事に由来する。951年に始まったとされる鉾流神事は、選ばれた神童が小舟で川へ漕ぎ出し、神鉾を流すというものであった。神鉾が流れ着いた場所は仮の御旅所となり、そこに渡御行列が向かった。この神事は江戸時代の初めに廃絶したが、大阪町衆の要望により1930年に復活、今に受け継がれている。現在は毎年7月24日の天神祭宵宮の早朝、天満警察署側から舟が出る。鉾流橋は1929年に架設。1980年には正面にある大阪市中央公会堂のデザインに合わせて美装化され、そのクラシックな名前と裏腹にモダンなデザインが印象的だ。
大江橋から北へ歩けば、絵画・骨董のまち、老松通り。
中之島から大江橋を渡り北に歩き右に行くと、知る人ぞ知る、老松通りがある。400mほどの街路には古美術店や画廊が集まり、通りの界隈を含めると約80店舗にもなる日本でも有数の骨董街だ。
この老松通りは、江戸時代の半ばまでは天満の天神さんへの表参道。その後、明治・大正期には寄席や芝居小屋が建ち並び、縁日にはたいそう賑わっていたという。現在のような絵画・骨董ストリートに変わったのは、第二次世界大戦後のこと。都会の真ん中にあるのにどこか懐かしい、春の心地よい日に訪れたい場所である。
美術館とは違って、美術工芸品に直接触れることができるのが、老松通りのお店の大きな魅力。写真は、ギャラリー帝塚山 老松サロン店内。
通るたびにさまざまな国、時代に出会える発見ストリート。
老松通りには本格的な古美術を取り扱う店が多いが、店主の好みを活かした個性的な店もある。江戸時代から戦前までの焼き物やガラス製品、人形、おもちゃなどを扱う骨董沙羅もそんなお店のひとつ。店主の山本さん曰く、「骨董は失敗しないためにも、きちんとしたところで買うことをおすすめします。この辺りなら、まず間違いはないでしょう」。
一方、老松通り界隈で最も広い店内を誇る「ギャラリー帝塚山 老松サロン」は、仏教美術、中国古陶磁、西洋骨董、韓国李朝美術、日本の現代作家と、幅広い品揃え。低価格なものもあり、様々な古美術品の中から選べるのがうれしい。
老松通りでは、年に2回、春と秋に老松古美術祭が行われる。古美術祭では毎回、店先にサービス品が並ぶので、初めての人にもまず安心。今年の春の開催日は、4月25日と26日。アート好きの方なら、立ち寄ってみてはいかが?

[骨董沙羅]
小さい店ながら古いアンティークのガラスの品揃えでは大きな店に引けを取らない。オーナーは、ユニークな商品を収集するのが得意。
[ギャラリー帝塚山 老松サロン]
大阪だけでなく日本全国から顧客が買い付けに来る。「最近は外国から来る顧客も増えて、全体の2割くらいになりました」とオーナーの堀田氏。
老松通り古美術店街
老松通りがある西天満は通称、老松町。その名の由来は古く、かつてここに松の古木があり、神武天皇がここに船をつなぎ止めた逸話がもとになったといわれる。松の木は明治時代に大火で焼け、焼け跡に社を建てて古跡としていたが、今は天満宮に移築されている。一方、天満宮への参詣道だった老松通りは戦前までたいへん賑わい、戦後は骨董街として生まれ変わった。1994年に放送されたNHK総合の連続テレビ小説「ぴあの」で、主人公ぴあのが住むまちとして登場し、全国にその名が知られることに。現在はロケで使用された家は取り壊され、代わりにピアノ型のビルが建っている。
1. 秦古美術 |
16. ギャラリー江月 23. 若林梅香堂 |
31. 瀧川画廊 32. ギャラリー海野 33. 陶泉房 34. 前坂晴天堂 35. 古美術ふくむら 36. 古美術たねおか 37. 古美術 河﨑 38. 中国美術 39. ギャラリー帝塚山 40. ギャラリーみずの 41. 古美術和田 42. ギャラリー恵寶堂 43. ギャルリーメゾンドゥヨウコ |
老松通りの終点から鉾流橋を渡ると正面には大阪市中央公会堂。
中之島の数多い名建築の中でもシンボルといえば、大阪市中央公会堂。このネオルネッサンス洋式の建物を寄贈したのが、大阪証券取引所の株仲買人、岩本栄之助だ。岩本は、明治42年、33歳の時に渡米し、カーネギーやロックフェラーなどアメリカの実業家たちが公の寄付や慈善事業を行っているのに感動、帰国後百万円を寄付したのだった。隣りの大阪府立中之島図書館もまた、明治37年に住友吉左衛門友純の寄贈によって建てられた。
1970年代に公会堂を含めた古い建造物を取り壊して超高層ビルにする計画が発表された時「中之島をまもる会」が結成、市民の保存運動によって、この古き良き建築たちは残され再生されることになった。市民に岩本の遺志が引き継がれた大阪市中央公会堂は、まさにフィランソロピー(慈善活動)精神の象徴ともいえるだろう。

[大阪府立中之島図書館]
明治洋風建築の傑作として挙げられる、大阪府立中之島図書館。約54万冊の蔵書を持つ。
[大阪市中央公会堂]
かつて約1700人収容可能な大集会室をはじめ、約700人が会食できる大食堂(中集会室)や貴賓室などがあり、大正時代の当時まさに日本一のスケールであった。地下1階にある岩本記念館は一般来館者も見学できる(無料)。
[中之島倶楽部]
市民に一般公開されて特に人気が高かったのは、当時珍しかった洋食堂。今でも「中之島倶楽部」として営業している。
ランチタイムのいちばん人気はオムライス。
1日200食限定。
中之島を西へ進むと科学の最先端が待っている。
土佐堀川沿いを西へ、ぶらぶら歩いてみよう。肥後橋を過ぎると、大阪市立科学館が見えてくる。
もとは西区の四ツ橋にあった電気科学館を前身とする、大阪市立科学館。電気科学館は「東洋初のプラネタリウム」を備えており、手塚治虫も少年時代に大ファンだったという。大阪市立科学館もまた、世界トップレベルの大型プラネタリウムが地下1階に。ふだんは街の灯りで見えない、満天の星が輝く大阪の空を疑似体験できる。休日のひととき、星を眺めながら、ゆったりと過ごすのもいいかもしれない。また、東洋初のロボットを復元した「学天則」などの楽しい展示も来場を待っている。
[大阪市立科学館]
観客の反応を見ながら、話題を変えることもあるというプラネタリウム。天文学を専攻する学芸員が生で解説しているショーは世界でも珍しい。
足を伸ばして水面を照らすほたるまちへ。
大阪市立科学館、国立国際美術館から北に向かって歩くと、田蓑橋からスタイリッシュなビル群が見える。昨年5月に誕生した「ほたるまち」。朝日放送新社屋、多目的イベントスペース・堂島リバーフォーラムや、レストランなどが入ったニュースポットだ。まちの名は、与謝蕪村の俳句「淀船の 棹の雫も ほたるかな」に由来するという。
日が沈み、夜が更けると、「ほたる」の名前に納得する。建物のLEDによる光のイルミネーションが浮かび上がり、周辺に落ち着いた雰囲気を醸し出す。春風に吹かれて歩く大人の中之島散歩のゴールには、この場所がふさわしいかもしれない。
[フェイフ・ドルフィンズ]
「堂島クロスウォーク」1Fにある「フェイフ・ドルフィンズ」は、ベルギーを中心にヨーロッパのビール約100種類とベルギー料理が楽しめる店。ベルギーの修道院でつくられるオルヴァル(右)は、後味に残る苦みが特徴。デュセス ド ブルゴーニュ(左)は、西フランダース地方のレッドビール。フルーティで甘酸っぱく、女性にも人気。
