歴史|ジオ神戸中山手通

HISTORY

KOBE YAMATE
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INTRODUCTION

日本初の海洋気象台に選ばれた地、
神戸の山手で過ごした記憶。

大正9年、日本初の海洋気象台が神戸市宇治野山(現在の中山手通7丁目)に建設されました。
海からも街からもよく見えるこの建物は、「純白煉瓦に赤屋根の瀟洒な洋館」として一際目立つ存在でした。
長きに渡り神戸の海運業を支えてきましたが、阪神淡路大震災後に移転。
それ以降、更地だったこの地に新たな暮らしを創出する住まいの建設が開始しています。
この機に当時を振り返り、いかなる魅力を持つ場所なのかを探るべく当時を知る饒村曜さんにお会いしました。
神戸海洋気象台が見晴らしの良い高台の地に誕生した理由や、
饒村さんが神戸で暮らした時の思い出を伺いました。

饒村 曜

INTERVIEWEE

INTERVIEWEE

饒村 曜You Nyoumura

気象予報士、青山学院大学非常勤講師、減災コンサルタント、
著述業(台風・気象・地震・海洋)
2011年に気象庁を定年退職。「予報円」を作るなど本業である防災情報改善などのかたわら、テレビ出演や取材対応のほか、台風・気象に関する執筆も多数。1995年阪神淡路大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。

Section.1

街と海が見渡せる、
眺望が魅力の地に気象台が誕生。

私は1992年から3年間、神戸海洋気象台に勤めていました。短い期間でしたが、美しい神戸の街で穏やかに暮らしてました。在勤した最後の年には震災も経験し忘れることのできない3年間となりました。
神戸海洋気象台が建設されたのは私が赴任するずいぶんと昔のことです。1920年、港がよく見えるということで現在の中山手通7丁目の丘の上に建設されました。気象台の役割は、気象観測を行い、海上の船舶に天候の変化を伝えること。当時は無線機を積んだ船が少なく、ラジオ放送も始まっていないので、色や形の異なる旗で気象予報を伝える必要があるため海と街がよく見渡せる場所でなければなりませんでした。それは街や港にいる人たちからもよく見える場所です。実は他にいくつか候補地があったと聞いていますが、この場所は地盤が強かったこと、そしてインフラが整っていたこともあってこの地が最適な場所として選ばれたと聞いています。

Section.2

見た目も設備も素晴しい、
世界を代表する海洋気象台。

外観の装いは美しく施設の充実した素晴しい建築物、それが神戸海洋気象台でした。地上2階、地下1階で屋上に測風塔を備えており、さらに赤屋根と白煉瓦のコントラストが美しいハイカラなデザインの洋館は、入港する船からも街からも一際目立つ存在だったことでしょう。神戸海洋気象台はドイツ・ハンブルグ海洋気象台に倣ったと言われており、市内のどこからでも遠望できるここは、一般市民も中に入ることができる観光名所の一つとして親しまれていました。
設備は当時としては先進となる無線電信設備や一流の観測機器、多くの図書等を備えるなど立派なものでした。さらには専用に設計された観測船を所持するなどで、まさに日本を代表する施設だったと言えます。

  • 昭和10年頃の神戸海洋気象台昭和10年頃の神戸海洋気象台
  • 昭和10年頃の諏訪山から望む神戸市昭和10年頃の諏訪山から望む神戸市
    現在の諏訪山から望む神戸市現在の諏訪山から望む神戸市

Section.3

快適さと優雅さを感じられる
神戸山手生活。

この素晴らしい神戸海洋気象台で過ごした3年間は、とても有意義なひとときでした。私の住まいは、海洋気象台のちょうど目の前に建つ公務員宿舎でした。神戸の街が一望でき、当時はタワーマンションもなかったので海へと開かれた眺望がとても美しかったことを覚えています。見晴らしが良いだけでなく、暮らし心地もとても満足できるものでした。何よりも静かで、だけど少し下れば繁華街が広がっており、何でもありました。地下鉄やタクシーでの移動も快適で、元町までワンメーターでしたので、よく利用していました。すぐ近くに山が広がっており、散歩がてらに歩いたこともありました。また、都心部は24時間眠らない街としてネオンの輝く夜景も素敵でした。

※現地15階相当の眺望写真(2017年8月撮影)。一部CG加工を施しています。

※現地15階相当の眺望写真(2017年8月撮影)。一部CG加工を施しています。

Section.4

地盤の強さ、インフラの早い
復旧を実感した震災。

私が在勤した最終年に阪神淡路大震災が起きました。測風塔や天体観測ドーム、外壁にヒビは入りましたが、地震発生直後はそこまで大きな被害のある地震だとは思いもしませんでした。少し離れた街の建物は損壊がひどく、神戸の街はブルーシートで覆われました。それだけ損壊を受けた家屋が多かったということです。ですが、気象台のあるこのエリアはインフラの普及も早く、電気は震災当日、水は2日目には使用できました。残念ながら、気象台は震災の被害で取り壊すこととなりましたが、全ての観測や予測を通常通り行ないました。地盤が強かったというのもありますが、建物がとても丈夫に造られており、分解すると鉄筋が密に入っており「壊さなくてもよかった」という声もあったほどでした。

神戸海洋気象台/絵葉書資料館蔵神戸海洋気象台/絵葉書資料館蔵

OUTRODUCTION

この最高の土地で暮らせる
歓びに想いを寄せて。

神戸の地を離れて20年余りが過ぎますが、あの静かな住宅街での暮らしは大切な思い出として心に刻まれています。都市の喧騒とほどよい距離があり決して騒がしくなく、四季の自然が潤い、生き物も多く生息している緑豊かな地でもあります。震災後に神戸海洋気象台が取り壊されたとき、利があると言える緑豊かなこの地に何かが建つときは、高級ホテルか高級マンションがふさわしいと思っていました。今後、ここに暮らす人を羨ましくも思います。私は気象庁時代に東京や福井、静岡などに転勤しましたが、神戸の高台で暮らした有意義な日々は、とても濃くて充実した3年間でした。

※従前地の神戸海洋気象台は1920年8月25日に日本最初の「海洋気象台」として創設されました。(出典:『兵庫県の気象―空と海を見つめて100年』神戸海洋気象台編 神戸地方気象台)