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西は六甲山系、北は長尾山系に囲まれ、市の中心部に武庫川が流れる風光明媚な「宝塚」。江戸時代には宿場町として賑わいを見せ、明治17年(1884年)、武庫川右岸に良質な温泉が発見されたことから、「宝塚温泉」が誕生しました。
そして明治も後半になると、大阪は国内屈指の経済都市、神戸は港湾都市として世界の注目の的となり、国内外の人々が阪神を目指し集います。
それとともに、近郊農村部の開発が始まり、実業家・小林一三は、計画線のままであった箕面有馬電気鉄道に着目。明治40年(1907年)6月に「箕面有馬電気軌道」という社名に改め、同年10月に会社を設立すると、同社の専務として現・宝塚線の開業に腕をふるいました。
さらに、宝塚温泉の対岸における「宝塚新温泉」開業や、大正3年(1914年)4月、少女のみの出演者による「宝塚唱歌隊」、後の「宝塚歌劇団」を創り出し、鉄道をベースとする都市・観光開発のさきがけになったのです。
風光明媚な土地柄と良質な温泉、近代的で美しく開発された街は話題を呼び、多くの裕福な実業家や芸術家、文化人などが移り住み、和洋が融合した独自のカルチャ ーを創り上げてゆきました。
小林の先見の明と情熱が鉄道を通し、山間の温泉を一大観光地、そして質の高い邸宅地として発展した宝塚は、まさに「阪急・運命の地」。その珠玉の文化と上質な気風は連綿と受け継がれ、未来へ向け、新たな輝かしい運命を拓いてゆくことでしょう。
宝塚で何より有名なのは、言わずと知れた華麗なる「宝塚歌劇団」。南欧風の巨大な建物「宝塚大劇場」で日夜豪華なステージが繰り広げられています。劇場と「宝塚」駅とを結ぶ四季折々の花にあふれた石畳の歩道「花のみち」が心躍る夢の世界への通路になっています。
劇場の隣りには、公園型複合施設「宝塚ガーデンフィールズ」、そして幼少期より青年時代までを宝塚で過ごしたマンガの神様・手塚治虫氏を顕彰する「手塚治虫記念館」もこの一角に。さらに、文化意識の高い宝塚の人々に人気の「ベガ・ホール」では、プロアマ問わず年間を通じて多くの演奏会が開かれています。
阪急「宝塚」駅付近には、駅併設の百貨店「宝塚阪急」や、約80のショッピング&グルメ専門店・市役所のサービスステーションからなる複合商業施設「ソリオ宝塚」ほか、商業・利便施設が集中しています。また向かい側のJR「宝塚」駅は2010年2月に新しく生まれ変わったばかり。駅構内には話題のショッピングスポット「エキマルシェ宝塚」もオープンしています。
宝塚と聞いてまず思い出す学校といえば、「宝塚大劇場」に隣接する「宝塚音楽学校」。明日のスターを育成する名門中の名門です。また2008年4月に開校した「関西学院初等部」も、関西学院初の小学校として教育意識の高いファミリー注目の的となっています。
医療機関の中心である「宝塚市立病院」は、内科・外科をはじめ24診療科目が整い、市民に大きな安心をもたらします。また救急指定の総合病院「宝塚病院」ほか、市内中心部には多くの病院・クリニックが充実し、市民の健康な暮らしを日々支えています。
神戸開港後まもなく来日した、英国人貿易商A・H・グルーム。六甲山や摩耶山の連なるこの地の自然をこよなく愛した彼は、明治28年(1895年)に六甲の山上に別荘を建設し、六甲初の住人となりました。
そんなグルームと友人によってレジャーと社交の場として作られたのが、国内初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」。ゴルフ場だけでなく周辺の道路もグルームが私財をなげうって造ったものだったそう。彼らはまた四季折々にハイキング、登山、スケートなどのスポーツも楽しみ、こうした西欧文化は、次第に日本人にも広まっていきました。
大正9年(1920年)、山手の山麓に阪急神戸線が開通すると、六甲は外国人のみならず日本人の間でも避暑地としての人気が高まり、「六甲オリエンタルホテル」や「六甲倶楽部(のちの六甲ホテル)」など、洋風建築のホテルも誕生しました。
「六甲」はその後、恵まれた自然環境に加え神戸の市街地や大阪湾を一望する立地が注目を集め、暮らしを豊かに楽しむための、近代的な「郊外型邸宅地」としても発展をみます。
またここは、グルームらと時を同じくして訪れたキリスト教関係者により、「松蔭女学院(現:神戸松蔭女学院)」「六甲中学校(現:六甲学院)」なども開校。明治35年(1902年)には現在の神戸大学が開校されました。こうした学問にふさわしい環境を未来まで保護する目的で、昭和40年(1965年)灘区六甲地区は神戸市により文教地区に指定されています。
文化意識の高い外国人によって生まれ、美意識の高い日本人の手で育てられた六甲は、現代まで続く上質な邸宅地、そしてアカデミックタウンとして、近隣住民の羨望と尊敬を集め続けているのです。
人々を魅了する六甲・山の手の美しいパノラマ。かつて阪神間の富豪達が避暑地として選び別荘を構えた地は、阪神間有数の高級邸宅地として発展してきました。一方、豊かな自然を背景に育まれたリゾート文化も今に継承されています。由緒正しい「神戸ゴルフ倶楽部」や1,000万ドルの夜景と静かな時間を愉しめる「六甲山ホテル」などのほか、「六甲ガーデンテラス」や「六甲山カンツリーハウス」など六甲山の自然を満喫できるレジャー施設が点在しています。また見晴らしの良い「灘丸山公園」を始めとして、大小さまざまな公園が充実しているのも六甲の魅力のひとつです。緑の豊かさがあたりまえになる、そんな贅沢がここにはあります。
六甲には、遠くからわざわざ訪れたくなる美味しいスイーツやパンのお店、隠れ家のようなレストランが点在しています。ゆっくりと街を散策しながら、自分のお気に入りのお店を探すという、楽しみ。毎日のお買い物は阪急「六甲」駅の近くの「阪急オアシス」「いかりスーパー六甲店」へ。また、JR「六甲道」駅前には各種商業店舗が集まる「ウェルブ六甲道」「フォレスタ六甲」、インテリアからペット用品まで揃う「サザンモール六甲」などもあり、日々の暮らしを便利に、より豊かに彩ります。
名門校の多い阪神間エリアの中でも、創立100年を超える「神戸大学」、「神戸松蔭女子学院大学」や中高一貫教育の私立男子校「六甲中学校・高等学校」などが集中する六甲地区は、特に学問に適した素晴らしい環境が整っています。
医療機関の中心は、明治時代に外国人向け病院として開院し、平成18(2006)年、安藤忠雄氏の設計により美しく生まれ変わった「神戸海星病院」。発症後間もない患者さんに集中治療をする病床を持つ急性期病院として、地域の信頼を集めます。また内科・外科・皮膚科・耳鼻科など11診療科目を網羅した神戸市2次救急指定総合病院「六甲病院」もエリア内にあって安心です。
「西宮北口」エリアは、阪神間を代表する邸宅街、甲子園・昭和園・甲風園・甲東園・甲陽園・苦楽園・香櫨園からなる「西宮七園(にしのみやななえん)」のほぼ中心に位置します。
都市圏の産業が隆盛を極めた大正期、当時の富裕層による「より良好な住環境」のニーズに応え拓かれたこれら七つの邸宅街には、由緒正しい関西の生活様式を土壌に憧れの欧米スタイルを柔軟に取り入れた「阪神間モダニズム」という独自の文化が花開きました。
現在は大規模な商業施設の開業などが進み、2009年には「西宮北口」駅の平均乗降客数が「三宮」駅を抜き、全阪急路線中で「梅田」駅に次いで2位になりました。今あらためて注目されるこのエリアには、「進化のための変化」を恐れない先人の気概が受け継がれています。
一方、西宮北口から南東・武庫川方面に広がる「甲子園口」エリアには、閑静な邸宅街や約200店舗が軒を連ねる大型商店街が広がっています。
昭和9年(1934年)、地元の熱心な誘致活動が実を結び開業したJR「甲子園口」駅の誕生とともに、周辺エリアの計画的な開発が始まりました。
西宮七園に数えられる閑静な邸宅街の中にあって、平坦で暮らしやすい立地を持つ「甲子園口」エリアは、街全体にどこか温かみある雰囲気も漂い、また古きよき阪神間モダニズム建築様式の「旧甲子園ホテル」やスペイン風建築「旧新田邸」などが各所に残るなど、多彩な表情を持ち続けています。
緑豊かな六甲山系を背景に、足もとには武庫川の広がりと恵みをたっぷり享受するロケーション。それが阪神間でも独特のゆとりを醸し出す「甲子園口」エリアの魅力です。
大型の商業・生活利便施設が集中する「西宮北口」駅のランドマーク的存在は、日本最大級のショッピングセンター「阪急西宮ガーデンズ」。「阪急百貨店」や大型スーパーをはじめ約270もの店舗で賑わいます。ガラス張りの館内に自然光が差し込み、街のシンボルと呼ぶにふさわしい贅沢さです。
駅前の大型ショッピングモール「アクタ西宮」は、安全・安心の生鮮食品を取り扱う「コープ北口食彩館」をはじめ、100店舗を超えるショップやレストランが集まっているだけでなく、市役所支所「アクタ西宮ステーション」「西宮市立北口図書館」「西宮市大学交流センター」などの公共機関も揃っています。
そして、西宮市民の芸術文化の拠点、コンサート・オペラ・バレエ・演劇を楽しめる「兵庫県立芸術文化センター」が2005年に開館したことで、市民の芸術への関心が一気に高まりました。
六甲山の東に位置する甲山(かぶとやま)。西宮七園の園名につけられている「甲」の字の多くはこの山の名に由来するそうです。その山麓に広がる西宮市民憩いのスポット「甲山森林公園」は、園内の約90%が緑で覆われ、四季折々の植物や野鳥も観察できる、自然の美そのものを楽しむ公園です。
また、「関西学院大学」「神戸女学院大学」といった有名大学をはじめ、多くの教育機関が点在しており、「西宮北口」駅周辺では華やかで活気に満ちた学生の姿が数多く見受けられます。
さらに近隣の主要医療機関としては、14の診療科目を持ち1次・2次救急指定として地域救急医療にも取り組む「西宮市立中央病院」があり、いざというときにも安心です。もちろん駅周辺には専門のクリニックも充実しています。
JR「甲子園口」駅を中心に閑静な邸宅街を擁するこのエリアには、「阪神間モダニズム」を代表する歴史ある建築物が現存しています。フランク・ロイド・ライトの愛弟子である遠藤新の設計により昭和5年(1930年)に竣工した「旧甲子園ホテル」は、現在は「武庫川女子大学 甲子園会館」となっています。国の近代化産業遺産および登録有形文化財にも指定され、邸宅街のランドマークとして堂々たる景観を呈しています。また、昭和3年(1928年)に建てられたスペイン風の洋館「松山大学温山記念会館(旧新田邸)」も見逃せません。
そのような歴史あるこの地では、総数約7700名と国内の女子大で最大規模を誇る「武庫川女子大学」や、幼稚園から短大まで一貫教育を実践する「甲子園学院」にて学生たちが勉学に勤しんでいます。
JR「甲子園口」駅の南側には、昭和9年(1934年)に開業した老舗の大型商店街「甲子園口商店街」が延びています。約200もの店舗が連なる壮観なアーケード街を練り歩いて、掘り出し物を見つけてみたい商店街です。また、甲子園口から少し南に下った阪神甲子園球場付近の大型商業施設「ららぽーと甲子園」には、流行のファッションや雑貨・レストランだけでなく、いま話題の子ども向け体験型施設「キッザニア甲子園」も併設されています。
近隣の大型医療機関としては、1000床以上の規模を持つ「兵庫医科大学病院」があります。大阪や神戸からのアクセスもよく、年間約60万人もの外来診療を行なっています。
阪神間の閑静な邸宅街のひとつである塚口は、人形浄瑠璃と歌舞伎の世界で活躍した日本が誇る劇作家、近松門左衛門ゆかりの地としても名高い地域です。
近松は、塚口に位置する「広済寺」の住職と親しく交流があり、「広済寺」本堂の裏に用意された「近松部屋」と呼ばれる仕事部屋で永く執筆活動をしていたと伝えられています。
現在の塚口では、近松文楽や歌舞伎の公演、講座等、一年を通じて様々なイベントが開催されており、近松が発信し続けた芸への熱意が今も脈々と息づいています。
古くから「芸術の街」として知られていた塚口は、大正9年(1920年) 、阪神間の高速輸送のために開業した阪急神戸線・伊丹線において、尼崎市唯一の駅となりました。
大阪〜神戸を42 分で結ぶ神戸線は、阪神間の人の往来に大きく寄与し、塚口は利便性の高い路線の拠点駅として、郊外型の上質な邸宅地に姿を変えていきます。
そのような変化の中、広済寺、近松記念館、近松公園、近松の墓など点在する一帯は「近松の里」として整備。新興の土地とは一線を画し、 「芸術の街」の足跡をたどることのできる街中歴史博物館として、重厚な歴史と文化の薫りを感じさせてくれます。
近松門左衛門ゆかりの地で知られる「塚口」には、近松の偉業をしのぶ施設が各所に点在しています。近松の過去帳・愛用の文机・手紙など貴重な資料約100点が展示された「近松記念館」は、歌舞伎、文楽ファンにはぜひ訪れてみたいスポットです。また広済寺隣接の「近松公園」は、約2haの敷地が回遊式の日本庭園に整備され、梅や桜の時期はもとより、四季折々の風情を楽しみに多くの人が足を運びます。
日本初の県立劇団「兵庫県立ピッコロ劇団」の活動拠点「ピッコロシアター」では、定期公演や地域の催し物が開催されたり、プロの講師陣から演劇理論と実践を学べる「ピッコロ演劇学校」の授業も行われていて、「芸術の街・塚口」のもうひとつの顔になっています。
阪急「塚口」駅はターミナル駅として「西宮北口」駅まで約5分、「梅田」駅まで約13分(通勤特急で約10分)と便利なのに加え、阪急伊丹線を使えば大阪国際空港へのアクセスも優れています。
駅南口のロータリーをぐるりと囲む複合商業施設「塚口さんさんタウン」は、キーテナント「ダイエー塚口店」、4つのシアターを擁するシネコン「塚口サンサン劇場」などでいつも賑わっています。また、駅北口側には「いかりスーパー塚口店」や数多くの金融機関等が集中しており、生活利便性に優れています。
そして休日にはちょっと足を伸ばして大型商業店舗を訪れてみましょう。「イオン尼崎店」「コストコ尼崎倉庫店」でたっぷりと生活用品等を買い込んだら、「グンゼタウンセンターつかしん」へ。ショッピングや食事はもちろん、併設の「グンゼスポーツクラブ つかしん」や日帰り温泉「湯の華廊」で健康的に汗を流すのも楽しいですね。
阪急「塚口」駅南口は、「園田学園」の幼稚園・中学校・高校・女子大学・女子短期大学のある、尼崎市でも有数の文教地区です。朝夕の登下校時、街はとくに若い活気に満ちあふれます。また、同じく南口には17診療科目を持つ総合病院「兵庫県立塚口病院」があり、近隣住民の健康な暮らしを支えています。このほかにも駅周辺には内科・小児科・歯科など各種クリニックが集中しています。
梅田へ三宮へと、通勤通学ショッピングなどあらゆる目的に利便性を誇り、阪神間有数の邸宅街として知られる芦屋は、また一方で、近代阪神間における文化の集積地であり発信基地であったことも紛れもない事実です。
明治時代、東洋一の港湾都市として世界に開かれた神戸港では、西欧を相手とする貿易がさかんに行われていました。それとともに、各国の文化がいち早く伝えられることとなり当時の先進的な日本人の積極的な取り組みによって独自の近代芸術、文化と生活様式が確立されました。こうしたライフスタイルが、のちに「阪神間モダニズム」と呼ばれるようになります。
そして、この「阪神間モダニズム」の中核を担っていたのが、利便性と風光明媚な地形に呼ばれるようにして京阪神の実業家や芸術家・文化人などが移り住んだ芦屋の住民だったのです。
西洋と日本の文化が融合し、独自に発展した芦屋文化の遺伝子は市民に脈々と受け継がれ、昭和26(1951)年、芦屋国際文化住宅都市建設法の公布を皮切りに、「芦屋市総合計画」「芦屋庭園都市宣言」「芦屋市都市計画マスタープラン」「芦屋景観地区指定」と、行政と市民が協力して、常によりよい住環境の創出と維持に取り組む様子がうかがい知れます。
とくに現代、国内外で著名なアーティストやクリエーターがこの地に拠点を構え、話題の作品を生み出し続けている理由も、これら誇りある取り組みが「芦屋」の地に日々新しい力をもたらし、街や人々が進化し続けているからにほかなりません。
こうして、関西のみならず国内全体の芸術や文化、レジャーやライフスタイルにまで多大な影響を与えた芦屋は、近代から現代に続く日本人憧憬の地として、今日も豊かな物語を紡ぎ続けているのです。
谷崎潤一郎の小説「細雪(ささめゆき)」の舞台としても有名な芦屋は、谷崎ゆかりの地として、純和風建築の文学館「芦屋市谷崎純一郎記念館」を擁します。かつて谷崎の好んだ数寄屋風邸宅の室内には、遺族から贈られた原稿・書簡・書籍・日用品など約500点もの貴重な品が展示されています。またここでは、谷崎の関西最後の住居である、京都・潺湲亭(せんかんてい)の庭を模した日本庭園も見逃せません。
隣接には、大正〜昭和期に活躍した洋画家・小出楢重ほか芦屋に縁の深いアーティストの作品を展示・収蔵する「芦屋市立美術博物館」や図書館もあり、芦屋にふさわしい文化の薫り高きスポットとなっています。
JR「芦屋」駅は新快速の停車駅で、「大阪」駅まで約13分、「三ノ宮」駅まで約7分と、通勤通学のアクセスも快適です。
「芦屋」駅上には、老舗デパート「大丸芦屋店」と、ファッション・雑貨・グルメを網羅した「モンテメール」があり、日常生活を華やかに彩ります。また連絡橋直結で人気の「ラポルテ」には、スーパー「コープデイズ芦屋」をはじめ、流行のファッションや雑貨・レストラン・フィットネスクラブやカルチャースクールまで200以上の専門店が連なります。その他市内いたるところに、カフェ・パン屋・雑貨店などおしゃれなショップが点在しています。
「芦屋」エリアには、教育意識の高い保護者に人気の「県立芦屋国際中等教育学校」をはじめ、美しい校舎やユニークな教育方針で人気の教育機関が点在しています。芦屋市はとくに教育面に力を入れており、近隣の大学に呼びかけて学生ボランティアを募り、小中学校の指導補助などによる活動と交流を活発に行なったりもしています。
芦屋の中核病院として信頼を集める「市立芦屋病院」は、救急病院や介護老人保健施設・訪問看護ステーション・居宅介護支援など総合サービスの厚い「南芦屋浜病院」と駅至近の「芦屋セントマリア病院」を結ぶ3病院ネットワークバスを運行し、市内の医療機関の連携も図っています。 またJR「芦屋」駅隣接の「ラポルテ」内には、内科や整形外科・眼科・歯科など医療施設が20軒以上も開院していて安心です。