六甲山が緑の山に変わるきっかけは、明治25年に起こった大規模な水害であった。これを機に法律が整備され、六甲山から流れ出す川の本流から支流までが整備され、木が植えられた。明治から始まって大正、昭和へと受け継がれたこの大事業のおかげで、六甲山は緑に覆われ、保水力を回復し自然の力を蓄えてきた。 およそ100年の時をかけた人々の手で、はるか縄文時代からという緑の系譜が再びつながった。平成の今は、植林された当時の木々から、ゆっくりと本来の六甲山にあった木々へと入れ替わっているという。有志たちによるブナの植林も続いている。花々が咲き秋には実って、動物や野鳥、昆虫を育む。特に春から初夏はツツジ、夏はアジサイの名所でもある。
外国人たちの避暑地であった六甲山を、市民のレクリエーションの場に変えたのが「足」。山頂への足といえばまずケーブルカーとなるが、それより1年早く開業した人気の乗物があった。 それが、六甲登山ロープウェイだ。昭和6年に開業、やがて太平洋戦争が始まり鉄材供出のため撤去されるまで、ゆうゆうと谷や山肌の上空を進んで人々の夢を運んだ。山上の駅は現在の六甲山ホテルの前にあった。その駅長を務めていた高岡 勇さんは、六甲山上に暮らし、人生の大半を六甲山に捧げた方だ。仕事の合間には広い山頂エリアのすみずみを歩いて地理を覚え、野鳥や植物を観察した。終戦の翌年、戦地から復員した高岡さんは、変わり果てた六甲山上を見て茫然としたことだろう。道路も施設もすっかり荒廃して、戦前のリゾートの面影はみじんもなくなっていたからだ。