北摂の山並みにつながるゆるやかな千里丘陵に、ニュータウンの構想が持ち上がったのは、1950年代のこと。当時の日本は戦後の復興から急成長の時代を迎え、大阪府も深刻な住宅難を抱えていた。これを解消して良質な街と住宅をつくる。
日本で初めての試みが決定し、開発計画案が公表されたのは1959年、皇太子(現天皇)ご成婚の日であった。
もともとは桃畑やタケノコ畑の竹やぶでおおわれた丘陵がみるみる姿を変えていった。広い道路と団地や戸建の街並みが整備されたまっさらな街は、1962年の「まちびらき」で産声を上げた。その2年後には東京オリンピック、8年後には千里で大阪万博が開催され日本中から延べ6500万人近い人々が訪れた。
交通網も整備された。 「まちびらき」に次いで阪急電車が新千里山駅(今の南千里駅)まで延長、続いて生まれた北千里駅には日本初の自動改札機が設置された。万博に合わせて千里中央が整備され、北大阪急行、新御堂筋、中央環状線が開通。大阪のベッドタウンとして、若竹が伸びるような勢いで高度成長期の時代と共に急成長していった。
千里ニュータウンや北摂エリアの暮らしに溶け込んでいる千里阪急ホテルは、万博の年にオープンした。設計は倉敷国際ホテルやアイビースクエアを手掛けた浦辺鎮太郎。
新しい街に、学術文化都市としての伝統を育みたい。そんな思いが読みとれる起用であった。ステンドグラスが美しいチャペル、おなじみ客と共に歳月を重ねたバー。晴れた日にはガーデンウェディングのベルが鳴り、新しい家族がここから歩み出す。
千里中央は、千里阪急などショッピングやエンタテインメントのお店が充実した都市機能ゾーン。
千里阪急ホテル
千里阪急ホテルに2つあるチャペルのステンドグラスは、世界的に活躍するガラスアーティスト、三浦啓子の作品。
こちらはアイヴィーチャペル。
水割りがカッコよかった頃、ブランデーが流行った頃…いろんな時代を見てきたバー。壁面のキーボックスにボトルをキープすることがステイタスだった。9時半ラストオーダー。30年バーテンダーを務め、現在は「さくららうんじ」店長の佐藤氏に立っていただいた。
千里ニュータウンは“ガーデンシティ”と呼ばれるほど、緑が豊かだ。今年45年目になる街は、開発当時からある千里緑地という森や藪の緑地帯で囲まれ、周囲と一線を画している。街が誕生した頃はひょろりとして頼りなげだった街路樹は、今や堂々たる大木になり街並みに風格を添えている。
いくつもの大きな公園に加え、住宅地の中に小公園が点在し、ヨーロッパのような趣をかもし出している。
風のない暖かな日には、公園のベンチに座って読書を楽しむ人の姿があったり、近くの保育園の子どもたちが散歩に訪れる。犬と散歩したりジョギングする人も。何げないこんな風景こそが千里で暮らす豊かさなのかもしれない。
ニュータウンの春は、にぎやかな野鳥のさえずりと共に訪れる。桜の季節には、改めて感心するほど桜の木が多い。南千里にある千里南公園も、人気のお花見スポットのひとつ。大きな池はニュータウンで唯一の魚釣り場であり、 のんびり糸を垂れる釣り人の姿がいっそうのどかさを感じさせる。
むせかえるような新緑に覆われる初夏には、ニュータウンの東側を縁取る千里緑地に何百ものヒメボタルの光がまたたく。体長1pにも満たない小さなこのホタルは、開発されずに残されたこの地に棲息してきた。
1分間に100回以上も点滅する弱い光を放つ。その光を毎年楽しめるように、地域の住民の手で大切に守られているのだ。
夏は市民プールや吹田市青少年野外活動センターでキャンプができるのが千里北公園だ。広い芝生の丘の上には、風で動く彫刻のアーティスト・新宮晋の作品がゆったりと動いている。
一角にある竹林では、毎年10月に「千里の竹あかり」というイベントが行われ、今年で7回目を迎える。千里名物の竹林は、間引いて風や光を通す手入れが欠かせない。
切り出した竹から3500本もの竹筒を作り、その中にキャンドルを浮かべてほのかな明かりを楽しむ一夜。
ゆらめく光とほのかに浮かぶ竹の姿が幻想的だ。
ほどなく千里の街は色とりどりの鮮やかな紅葉に彩られ始める。
千里ニュータウンの真ん中あたりに千里中央公園がある。公園の東側は吹田市、公園を含む西側は豊中市、そのどちら側からも小高くなった丘の稜線に展望台がある。
1966年に視察に来られた昭和天皇・皇后も上られ、ニュータウンと万博の敷地を展望されたという。
360度千里ニュータウンの眺めが満喫できるこのあたりは、元旦のご来光を待つ人気スポット。 生駒山系のシルエットの向こうからあかあかと空を染めて昇る雄大な初日の出を拝むことができる。
千里の秋の名所、三色彩道のタイワンフウの木の紅葉。
竹林にキャンドルの灯が揺れる 「千里の竹あかり」
写真提供:okkunさん
東京オリンピックの年以来、転勤等を除き北千里(藤白台)で暮らす。
千里ニュータウンへの愛情たっぷりなブログ<アラウンド・藤白台>必見。
http://senri-g1964.at.webry.info/
2006年に、吹田市立博物館である展覧会が開かれた。「千里ニュータウン展」と題されたその展覧会は、市の公募に応募した44名から成る「千里ニュータウン展市民委員会」が企画段階から参画して実現した。
ニュータウン内外で暮らす普通の人々が会議を重ね、アイデアを出し合い、ご近所から展示物を探し集め、PRにも務めた手弁当・手作りの展覧会であった。
さまざまなテーマでの展示の中でも話題を集めたのが、家々の物置に眠っていた開発当時の生活用具。家庭の電化が進んだ60年代、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が「三種の神器」と呼ばれた頃の“夢の暮らし”をもたらした家電製品あり。まだ内風呂がない団地では銭湯に通っていた頃に、一世を風靡した、ベランダやキッチンに置ける簡易型ユニットバス「バスオール」あり。軽三輪自動車「ミゼット」あり。目の前に並ぶ懐かしのグッズに、大人たちは60〜70年代にタイムスリップ、子どもたちは今との違いに目を丸くした。そこにはニュータウンが若く元気だった頃の夢や活気が息づいていた。
日本の大規模ニュータウン第1号の千里は、開発が早かった分、高齢化の波がいち早く訪れた。
しかし、そのおかげで、今、さまざまな仕事をリタイアした人々がNPO活動やコミュニティ活動に加わり、街を暮らしやすくするアクションを起こし始めた。
一方では、老朽化したエリアの再開発が進められ、整備された高層住宅に働き盛りや子どものいる新しい世代が移り住んでいる。千里ニュータウンが再び活性化し始めた。
そんな変わる千里を思わせるお店を見つけた。静かな住宅街の一角にある、隠れ家のような手打ち蕎麦の店だ。
邸宅を店にした佇まいが周囲としっくりなじんでいる。大人の心を満たし、街の楽しみとなるこんなお店がひとつ、またひとつ、と増えていけば、千里の豊かさが厚みを増すことだろう。華やかな輝きもいぶし銀のような味わいもある多様性の街へと、千里ニュータウンの新しい時代が始まっている。
360度見晴らせる千里中央公園の展望台から。昭和天皇も眺望を楽しまれた。
千里南公園はニュータウンの開発で一番先に手掛けられた原点ともいえる場所。景観への配慮から、この下に阪急沿線郊外で唯一のトンネルが通り、電車が走っている。
ブローニュの森さながらの千里中央公園。ここから「こぼれび通り」の小径をたどれば、千里阪急ホテルぞいに千里中央へすぐ。
市民の手で編集された千里ニュータウンの歴史がよくわかるパンフレット。吹田市立博物館で購入できます。(¥100)
吹田市立博物館 吹田市岸部北4-10-1
TEL:06-6338-5500
http://www.suita.ed.jp/hak/
千里北公園の丘の上には、風のアートがゆったり動いている。
南千里駅の高架下にある「クリエテ阪急」は、ガーデニングの盛んな千里でおなじみの店。
八ヶ岳産の蕎麦粉にこだわって。
終了は午後3時半、手打ち蕎麦が無くなり次第終了。
「あき津」吹田市高野台2-6-7-1 TEL: 06-7500-6593
※2007年1月取材
ジオシリーズマンションに関するお問い合わせはジオラブ梅田まで 0120-8923-01 受付時間:午前10時〜午後6時(水曜・木曜定休)